納豆ひじきの晴読雨読

日記と、本を読んで感じたことを気ままに。

アルジャーノンに花束を

こんばんは、納豆ひじきです。
この本について、自分の思うところを書きたい。
そんな思いだけでこのブログを立ち上げました。
そのくせ最初の記事は失恋の話なのはなんなんだ、というのは勘弁してください笑
ではしばしお付き合いを。

アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV) | ダニエル・キイス, 小尾 芙佐 |本 | 通販 | Amazon


この本の主人公は、精神障害を患ったいわゆる「白痴」と呼ばれる障害を持つ青年です。あらすじは書きません。この本を読んだ方がこの記事を読み、自分がどう思ったかをコメントしてくるのを夢に見て。
生来左手が悪く、身体障害をもつ私がこの精神障害者を題材とした名著に対してどう感じるかを記します。

ページ数は、2015年3月15日に発刊された[新版]に準拠します。

  • p187〜 
  チャーリーが知的障害成人センターに手術以来初めて戻った場面

このシーン、アリスがチャーリーがセンターに来たことに対して激怒する。アリスはここで「生徒たちがかわいそう」だと感じたのではないかと思う。チャーリーも昔はじぶんの生徒であり、その中から勉強に対するモチベーションを買われて手術を受けた。そしていわゆる「普通の人」になったチャーリーが生徒たちを「哀れんで」いると感じたのではないか。
チャーリー自身はおそらくそんな気持ちはなかった(もしくは自分で気づいていなかった)のだと思う。アリスのこの思考の流れには、普段からの白痴への哀れみをもった接し方がうかがえる。ふとした瞬間の哀れみが見えることほど辛いことはない。私はこのシーンのアリスは嫌いだ。

  • p243〜 
ぼくは人間だ、一人の人間なんだ      両親も記憶も過去もあるんだ    おまえがこのぼくをあの手術室に運んでいく前だって、ぼくは存在していたんだ!
この本の主張のひとつだとおもう。精神障害を持つ人間を、周囲は「人間」とみているのかどうか。おそらく答えはNoだとおもう。
ダウン症児の中絶率をみても、我が子ですら愛せない親がほとんどだ。
でも、それを責められる人はいないと思う。心ない中傷から守った、母の英断であるとさえ思う。障害を持って生まれるというのはそういうことなのだ。必ず、大小はあれど何処かで辛い目にあう。そんなのは健常者も同じだと言い張る人がいるのなら、まずは左手を落としてほしい、両足がうごかなくなってみてもいいだろう。本当にそう思う。
結局、その人の痛みなどはその人と同じ経験をしないと、想像で測ることは叶わないのだ。
もちろん、私には精神障害をもった人の気持ちなんてわからないし、そのことでどんな扱いを受けてきたのかも全くわからない。
だが、生まれて来なければよかったと思い涙する人の気持ちはわかる。
それを親に伝えることがどれほど親を傷つけることなのかということも。
もちろん、今は産んでくれたことに感謝するほどには成長している。

話がずれた。

  • p293〜
チャーリーが白痴の青年の行動に気づかず笑ものにしていたシーン

ここはかなり印象的だ。チャーリーは周りのみんなと一緒になってレストランでへまをする青年を笑っていたのだ。 そして、そのことにきがつかなかった自分に対して憤る。
チャーリーが知らず知らずのうちに「健常者」になっていた瞬間である。
彼は人間なんだ!と叫ぶチャーリーには、昔のじぶんを見捨てることはできない、それは今のじぶんを否定することになる、という気持ちがあったのではないだろうか。

同じ場面に
まともな感情や分別を持っている人々が、生まれつき手足や目の不自由な連中をからかったりはしない人々が、生まれつき知能のひくいにんげんを平気で虐待するのはまことに奇妙である。
という文がある。
ここに関しては非常に同意できる。
子供の頃はしかたない、身体障害を持つ人々はそのことでいじめられた経験もあるだろう。だが、環境にも寄れど大人になるにつれて周囲は協力的ないし「気にならない(おそらくほんとうに気にしていない)」という態度をもって接してくるように思う。
だが、精神障害はどうだろうか。
電車の中で見る、奇声を発する彼らを人々はどんな目つきで見ているだろう。それを安全圏から批判するわけではない、むしろ私もその中の一人だ。精神障害の痛みを知らない人間の一人として、この点には申し訳ないだとか、情けないだとか、うまく言えないけれどそんな気持ちになる。

  • p447〜
チャーリーがアリスをキニアン先生と呼んだシーン

このシーンは泣いた。青く静かな切ないシーンだ。アリスの心情を思うと涙が出る。愛した男性がまた白痴になり自分を愛したことも忘れて「キニアン先生」と呼ぶのだ。
何度読んでも泣ける。
以前知り合いにこの話をした時、「私なら会わないほうがよかったと思うかも」と言われて、とてもショックを受けた。
短いけれど、チャーリーとアリスが愛し合った時間は本物で、それは我々読者が意見してはいけない神聖なもののように思う。(私は本の中の彼らを、空想の人物で作者がつくったものだ、とはあまり考えない。一人間として尊重したいタイプだ。)
この二人の愛と切なさが私がこの本を大好きな理由だ。

少し長くなった。ここで終える。